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■セルシオモデル別解説

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皆様セルシオという車をご存知でしょうか?単に高級な車とお考えの方もいると思います。しかしこの車の誕生までには開発期間6年、開発スタッフ3700人、デザインスケッチ数千枚、試作車450台、テスト走行350万kmという膨大な時間と手間がかかったのです。

セルシオの開発にはまず当時トヨタの会長である豊田英二氏の「欧米の高級車に対抗できる車を作ろう」という一言によりプロジェクトが発足されました。その目的はベンツ・BMW・ジャガーに負けない世界基準作りへの挑戦でした。その条件とは

1:ステータスイメージ
2:プレステージイメージ
3:サクセスイメージ
4:パフォーマンスを満たす車である

ということでした。ところが、当時の日本車にはノーサクセスイメージ、ノーステイタスイメージでしかないという現実がありました。そこで開発者たちがまず目を向けたのがパフォーマンスだったのです。そう、世界の歴史を変えるパフォーマンスをセルシオに持たせようとしたのです。

最高速度・燃費・静粛性・空気抵抗・車両安定性など全てにおいて高いパフォーマンスを持たせるために開発者の研究が始まりました。しかしそれは苦難の始まりと言っても良いでしょう。すべての要素において高いパフォーマンスを求めるということは矛盾との戦いでした。最高速度を伸ばすためには車重を軽減させ空気抵抗をなくさなければなりません。しかし静粛性を高めるためには遮音材を多用する必要があり結果として車重が重くなってしまうという問題が発生しました。最高速度・静粛性を両立させることは大変困難なことだったのです。

しかし開発者達は決してあきらめませんでした。源流主義に回帰し、音の出ないエンジン、トランスミッション、足廻りを開発するという一点の光ともいうべき希望にかけたのです。その努力は並大抵のものではありませんでした。それは高精度の部品を作るために工作機械の見直しにまで至りました。
  そしてプロジェクト発足から6年が過ぎた1989年セルシオの輸出用モデルであるレクサスLS400がアメリカでデビューしたのです。それは一台の車が日本の枠を越え確実に世界基準へ羽ばたいた瞬間と言っても過言ではなかったでしょう。そう、このセルシオが今までのノーサクセスイメージ・ノーステイタスイメージという日本車のイメージをも覆したのです。

皆様忘れないで下さい。
「完全へのあくなき追求」 これがこの車の一番重要なパーツだということを・・・

それから13年、世紀を越えた「世界基準」がここにある!


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